スイス 山岳ホテル  No.6


ロマンティックホテル・ムオタス・ムライユ の歴史

「神座」と呼ばれたこのオーバーエンガディンの美しい景色が見渡せる場所は古くからこの地方の人々に知られていました。ここに登山鉄道で行けるようにしようとしたのは今から100年以上前の話です。1890年、クール出身のエンジニアだったロバート・ヴィルドベルガーによって最初のプランが立てられました。そして1904年には株式会社ムオタス・ムライユ鉄道会社が設立。当時のお金で80万スイスフランによって工事の予算が立てられました。当初の計画では一回の鉄道による輸送人員は52名、一日に1144名の輸送を行うことが目標でした。乗車券は往復で人間3フラン、犬1フランという記録も残されています。ケーブルカー建設と同時に山頂駅にホテルを建設するプランも同時に進行。1905年5月には工事開始。約350名のイタリア人労働者が投入され、ロバによって機材は運ばれていきましたが、すでに9月には積雪のために中断せざるを得ませんでした。そして予定より遅れること1年。1907年8月9日に登山鉄道はケーブルカーとして完成。この地方で最初の山岳鉄道として開業し、同時にホテルもオープンしました。最終的にかかったコストは120万スイスフラン。予定よりも50%ほど多くかかりました。

当初は夏季の営業のみの予定でしたが、高い需要に応え1908~9年にスキー客を対象とした冬季の営業も開始。第一次世界大戦中の苦しい時代を乗り切った後にはホテルのリノベーションも行われています。そしてその後のスキーブームではホテルの周辺にはスキーリフトが次々と開業。1950~60年代にかけてこの地方では山岳鉄道ブームが起こり、様々な展望台へのケーブルカーやゴンドラが建設されていきました。

現在のホテルは2009年から2010年にかけて全面改装が行われ2010年12月に新しいホテルとして生まれ変わったものです。改装工事により50%も拡張されたにもかかわらず、使用エネルギーは約1/3に。地中熱の利用及び太陽光発電(ソーラパネルはケーブルカー線路沿いに設置)により、アルプスのプラスエネルギーホテルとして認定されています。(使用するエネルギーよりも発生させるエネルギーの方が多い。)